
三崎港での花火大会が有志の尽力で復活して今年で4回目になる。
花火は心意気。
他のイベントとは全く違うものだ。
夜空に大きな花が咲くと、誰だってこころのずっと奥の方にしまってあるものが現れる。
亡くなってしまった大切な人のこと。
忘れてはいけない遠い日の記憶。
もう一度会いたい、人。
毎年8月15日に行われる三崎港の花火には「追悼」そして「平和」と「繁栄」、そんなみんなの思いや願いが込められているような気がする。
夜空のそのまた上の遠いところから、どうか見守っていてください。
昭和44年、僕がまだ小学生の頃。
広島の一番西の石油コンビナートの町、大竹市の小瀬川での花火大会。
父親はまだ元気だった。
迷子にならないように、人ごみの中で僕の手を引いていた。
小学校のそばのお好み焼屋で、真っ赤なかき氷を食べた。
射的で煙草の形をしたチョコレートを獲った。
銀玉鉄砲を買ってくれた。
いつも厳しかった父がその日はやさしかった。
橋の欄干にもたれて、大輪の花火を家族そろって見上げた。
やがて高校生になり、友達数人と友達の彼女、同級生の女子たちと待ち合わせをして小瀬川の花火大会を観に行った。
僕はベルボトムのジーパンをはいていて、女子はみんな浴衣を着ていた。
酒屋の息子の家でビールを飲んだ。
八百屋の息子の家で西瓜を食べた。
男たちは河原に寝そべって、女子たちは石の上にハンカチを敷いて団扇で蚊を避けながら楽しそうに話しをしていた。
薄暗がりの河原には蛍が飛んでいた。
大きな花火が上がる度に、僕の隣りで彼女の横顔が照らされる。
鼻の頭に汗をかいていた。
笑っているかと思えば、次には目を閉じている。
手をたたいたり、なにやら意味不明に叫んだり。
ころころと変わる表情を見ているのが楽しくて花火どころじゃなかった。
僕がじっと見つめていることをとっくの昔に知っていたのか、彼女が突然振り向いて僕を睨んだ。
息が止まるような、無音。
背筋がぞくっとする静寂。
やがてうつむいたまま、じりじりと頭から僕ににじり寄って来た。
怯える僕の目の前で彼女はゆっくりと顔を上げると、大声で叫んだ。
「ドッカーン!」
そしてその後で、にこりと微笑んだ。
その笑顔は夜空いっぱいに広がった大輪の花火。
僕はこころの中で叫んだ。
「お父さん、好きな人が出来ました!」
きょうのうた ー吉田拓郎「イメージの詩」
「イメージの詩」は、よしだたくろうのデビューシングルとして1970年に発売されたと、ウキペディアに書いてあった。
僕が中学生の頃、よしだたくろうの歌は深夜放送のラジオで流れてきて、お小遣いをはたいてレコードを買った。
兄のギターを毎日掻き鳴らしてたら、いつの間にか弾けるようになった。
そのまんま二十歳で上京し、やがて吉田拓郎のコンサートツアーにツアースタッフとして参加したのだから人生は不思議。
この歌はいつだって僕を、あの純真で無謀な青春時代に連れて行ってくれる。
きっと誰にもそんな自分だけのサウンドトラックがあるのだろう。
そんな青春の歌が僕は時々、無性に愛しくなる。