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Misaki Fan Interview File#02
インタビュー#02

いしいしんじ 1966年大阪生まれ。96年、短編集『とーきょーいしいあるき』を、2000年、初の長編小説『ぶらんこ乗り』を刊行。03年、『麦ふみクーツェ』で第18回坪田譲治文学賞を、12年、『ある一日』で織田作之助章を受賞。著書に『ポーの話』『みずうみ』など。


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三崎に新しい”生”があった -前編-
小説家 いしいしんじ

小説家いしいしんじさんは2001年から約10年間、三崎の町に住んでいました。その様子はWeb上で連載されている「いしいしんじのごはん日記」で紹介されています。日記にはいしいさんのリアルな生活が描かれていますが、それと同時に三崎への愛情と町の人たちへの親しみに溢れています。
そのいしいさんがなんと自分の祭りを引っ提げて三崎に帰ってきます。その名も「三崎いしいしんじ祭」。祭りの町・三崎でも前代未聞のお祭りです。しかし、なぜいしいさんはこれほどまで三崎への想いが強く、住まいを離れた今もこの町に帰ってくるのでしょうか。三崎へ移住した背景から、当時の生活の話を聞かせてもらい、三崎への想いの深さを知る事ができました。


「三崎の海がぱっと開けた瞬間と、三崎の魚を身体のなかに入れた感覚が似ていたんです」


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―いしいさんは、2001年に浅草から三崎に移り住まれたわけですが、なぜ転居先に三崎を選んだんですか?
いしい:いや、選んだっていうわけではないんですよ。いろんな日本の町があるけど、そのなかから三崎を選んだっていうわけではまったくない。当時は浅草に11年くらい住んでいたんですけど、もうボロボロの暮らしだったんです。バーテンをしながらライター稼業をやっていて、朝起きたら缶ビールを飲んで、1日に1本ズブロッカを飲むっていう、そういう生活をしてたんですよ。だから、身体も精神もボロボロだったんです。
それで2000年になんとなくおぼつかない手つきで長編小説を書くようになったんですけど、2001年の秋に、なんとなくね、都営浅草線に乗ったら海があるところに行けるのかなって思ったんですよ。浅草線は京急に乗り入れてるし、電車には三崎口行きって書いてるしね。それで「ワンカップ大関」を3本くらい買って、電車に乗ったんです。でも三崎口に降りたら海なんかなくてね(笑)。

―三崎口の駅から海は全く見えません(笑)。
いしい:それで「なんやコレは!」って。酔ってたんでガードレールを蹴ったりしてたんです(笑)。そうするとバスの運ちゃんが来て「港まで降りていかなきゃ、海なんてねぇだよ」って。

―それでバスに乗って。
いしい:バスに乗ってびゅーんと下に降りていってね。バスが(三崎)公園に入ると景色が広がりますよね。目の前に海がぱっと広がる瞬間があるじゃないですか。その時にね、自分のなかにも何かが広がる瞬間があったんですよ。

―海を見た瞬間に?
いしい:何かが広がったんです。それであっけにとられてバスから海をずっと見ていた。で、「降りよう!」と思ってバスのチャイムを押して降りたところが「日の出」っていうバス停やったんです。

―最初に降りたのが「日の出」だったんですか。
いしい:三崎の下町にあるスナック街ですよ。あの辺をうろうろしてたら、「もちく」とか「ニューバッカス」とか面白い名前の店がある。その頃はお風呂屋(銭湯)もあったし、今はなくなってしまったお店もあったんです。それで気づいたら暗くなってたんですけど、向こうの方に裸電球がぶら下がってたんです。それが「まるいち」さん(『ごはん日記』にも頻繁に登場する三崎の名物鮮魚店)だった。

―初めて三崎に来た日に「まるいち」にも出会っていたんですね。
いしい:その時はのぶさん(まるいち魚店 店主)のお兄さんのせいちゃんが居てる頃だったんですけど、「どっから来たの?」って訊かれて。
「東京から来たんです」
「東京の魚は売ってねえよ。コレはマグロの目玉だぁ」
「マグロの目玉ってどうやって食うんですか。刺身ですか?」
「マグロの目玉を刺身にして食うやつがどこにいるんだぁ。ばかやろー!」って(笑)。

―いきなりですね(笑)。
いしい:そんで「すんません…」とか言ってね(笑)。で、マグロの目玉を買って、その日は帰ったんですよ。多分、9時くらいに帰ったのかな。その時は、外食とか出来なかったんです。ライター稼業は2000年の時点では出来なくなっていた。精神的にダメになっていたから人とは会えないし、雇われ仕事も全部出来なくなっていたんです。家でやることっていったら小説を書くだけで、生活能力がどんどん減退していた。もうね、銀行に行ったら200円だけ引き出すとか、そんな暮らしだったんですよ、ハハハ(笑)。

―笑えないですけど(笑)。
いしい:もう家賃も払えないし、それで自炊をするようになったんです。で、その日も煮付けっていうのをやってみたんですけど…なんかね、その日に三崎の海がぱっと開けた瞬間と、三崎の魚を身体のなかに入れた感覚が似ていたんです。なんていうのかな…自分を開いて三崎が芯に入ってきた感覚があった。それが、なんかね、自分のなかで「これで俺は変わるんや」って確信になったんです。

―確信ですか?
いしい:確信ですね。そう思った。それで翌週の、確か木曜日やったと思うんですけど、同じように浅草線から京急に乗って、三崎口まで行ったんです。

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「その生き物を見て、俺はここに住んでもいいんだなって思ったんです」


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―最初に三崎に行ってから、2回目の訪問が早いですよね。

いしい:そう。それで公園のバス停で降りて「どうしようかな」って思ったら目の前に「オーシャンフロント」って不動産屋があった。で、「すんませーん、家を借りたいんですけど」って入っていった。そこに居たのは(石原)裕次郎かぶれした勝俣さんって人だったですけど(笑)。いきなり「仕事はなにしてんのぉ?」って訊かれて。「自営業ですけど」って答えたら、「いや、自営業って言ったっておめえよぉ」って。いきなり「おめえよぉ」って言われたんですけどね(笑)。

―ハハハ(笑)。
いしい:それで「おめえ、自営業って言ったってこんな平日の昼間からふらふらしているんじゃ、ろくな自営業じゃねえだろ。なにをやってるのか言ってみろよ」って。
「えーっと、小説とか書いてるんです」
「ふーん」
「…」
「小説ねぇ、どうせそんなことだと思ったよ」
「そうですかぁ」
「ちょっと待ってなよ。小説家ねぇ。アパートとかじゃねえんだろ」
「はぁ」
「だいたいわかったよ、あんたが住みたい家」って言われて。

―へえー、なんか展開が早いですね。
いしい:それでライトバンに乗せられて、連れていかれたのが「日の出」のバス亭からちょっと入っていったところにある一軒家だったんです。その家が変な作りになってるんですよ。「なんか変わってますね」って訊いたら、「ここは受付だったみたいだね。この家は宿屋だったんだよ」って教えてくれた。でも、不思議な家で階段が2つあるんです。1つはまっすぐな階段で、もう1つは螺旋階段なんですよ。それで2階に上がってみると、1階の天井は少し低いんですけど、2階は天井が高いんです。「なんやこれ?」って不思議がっていたら、「ここはマグロ漁船の船員たちの下宿先だったんだよ」って。船員の雑魚寝部屋だったんです。で、船長の部屋には渡り廊下があるんですけど、そこから置屋の女の人が来て特別なサービスをしてくれたらしい(笑)。

―船長だけがサービスを受けられるんですか(笑)。
いしい:雑魚寝部屋の連中はふすま一枚隔てたところで、船長がサービスを受けているのを聞いてる(笑)。それで悶々としてくると、階段を駆け下りて三崎の町に散らばっていくらしいです。そういうことをいろいろ教えてくれた。で、「面白いだろ?」「面白いですね」「ここ、いいだろ?」「いいですね」「ここに決めなよ」「ほな、決めますわ」って感じで家を借りることに決まったんです。

―トントン拍子ですね、審査とかもない(笑)。
いしい:そんなん、ない(笑)。それで、今度はちょっと良いところに連れてってやるよって言われて、またライトバンで少し走って歌舞島まで連れていってもらったんです。歌舞島って、もともと源頼朝が歌舞の宴を開いた由緒あるところらしいんですけど、そこからすごい景色が見えるんです。その日は、相模湾の向こうに白い画用紙に黒いシルエットを貼付けたような富士山があった。勝俣さんは「ここが一番、三崎でカッコいいところなんだよ」って教えてくれた。この景色を見せてくれるために連れてきてくれたんです。

―へぇー、いい人ですね。
いしい:それでね、その歌舞島の奥にお稲荷さんがあったんです。それを見て、やっぱりここに住むことになったわけだし、せっかくだから手を合わせておこうって思った。そうするとね、ほこらの裏からゴールデンレトリバーくらいの真っ白い生き物がぬっと出て来たんですよ。それで、トンットンットンッと竹の上を駆け上がって逃げていったんです。

―お稲荷様、なんでしょうか…。そのくだりは「ごはん日記」にも書かれていましたね。
いしい:うん。その生き物を見て、俺はここに住んでもいいんだなって思ったんです。

―それ、さっき言われてた確信と似ていますね。
いしい:それで公衆電話から、当時付き合っていたひと、今の嫁さんですけど、彼女に「浅草の家を引き払って、三崎に住むことにしたから」って言った(笑)。

―ちなみに家賃はいくらだったんですか?
いしい:4万円。

―一軒家で! 都内じゃ考えられないですね。しかし初めて三崎に来てから、すぐにここに住むことになったんですね。
いしい:最初に来たときに、三崎の海が開けたっていう一瞬があって、それが扉だったんだと思う。そこに自分の新しい”生”があるって感じたんです。振り返ってみると、自分がこんなに自然と三崎に近づいていくことが出来たのはそういう実感があったからだと思うんですよ。

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「本を書いてるだって!? それで食えるの??」
「ほうれん草とか魚は買えたりしてるんですけど」


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―実際に三崎に住み始めてから、町の人とは自然に馴染めたんですか?

いしい:そこは周りの環境も大きかったと思います。自分の家の向かいには坐古さんって人が住んでいたんです。多分、最初は僕のことを昼間からふらふらしている変な奴やなって見てたと思うんですけど(笑)。その坐古さんの家には3女のるなちゃんって子がいるんですけどね、この子は勝手に家に入ってきたりする。家に突然知らない子がいるわけじゃないですか。だから最初に来たときは「どうしたん?」って聞いたんです。そうすると「タマゴ、見てるんだけど」って答える。それで「タマゴ、好き?」って訊いてくるから、「まあ、よく食べるけどなー」って答えたら「あたし、タマゴ嫌い!」って走り去っていった(笑)。

―アハハ(笑)。
いしい:その翌日も来るわけですよ。で、「タマゴ、食べたの?」って訊いてくるから「食べたよ」って答えたら、「そうだね、昨日は4つあったけど今日は3つだもん」って(笑)。それから「このほうれん草はどうするの?」って訊いてくる。
「お浸しにしようかなって思ってるけど」って答えると「胡麻和えにしなよ!」って。
「えー、お浸しでええやん」
「るなが胡麻和えにしなって言ってるんだから、胡麻和えにしなよ!」
「うーん、わかった」って(笑)。

―るなちゃん、上から!(笑)。彼女は「ごはん日記」にもよく登場しますね。

いしい:その時、彼女は5歳なわけです。でも僕はまだ引っ越して2ヶ月くらいだから、彼女のほうがよっぽど先輩なんです。まあ、僕は先輩の言うことは聞くべきかなって思ったんですよね。だから、るなに言われたことは守ろうと思ってました(笑)。

―近所の人たちとの関係も面白いですよね。
いしい:るなが来るようになってから坐古さんも顔を出すようになったんですけど、急に「引っ越してきたんだから、祭りやるでしょ?」って言われて。

―いきなり、祭の参加要請だったんですね。
いしい:こっちは祭りって「なんのことかな?」って思うじゃないですか。でも、なんとなく「まあ、お祭りなんだろうなー」くらいに思っていたら、いきなり若者組に入れられていて、日の出会館の会合にも参加することになってた。

―地元に生まれ育ってなければ、なかなかその土地の祭りにまで深く関わらないですよね。
いしい:三崎に来て、1年目は神輿を担ぐメンバーにはなっていなかったんだけど、2年目にははっぴも飾りも地下足袋も用意されていましたからね。もう祭りってハードでね、ゲロはきまくりやった(笑)。あれはちょこちょこ手を抜かなくちゃいけないらしいね。でも、祭りに参加することで「あいつ、見たことあるな」ってなるわけです。それで顔なじみになる。「おめえ、何してんの?」って声を掛けられたりする。
「日の出の方に住んでるんですけど、本を書いてるんです」って答えると、「本を書いてるだって!? それで食えるの??」って。
「いやー、ほうれん草とか魚は買えたりしてるんですけど」
「ふーん。で、結婚はしてるの?」
「いや、まだなんですけどー」
「そうだろなぁ、大変だべ。で、どれくらい入るの?」
「そうですねー、本が1万部売れたら100万円くらいですかねー」
「で、あんたどれくらい売れてるの??」
「まあ、1年で2万か3万部ってところですかねぇ」
「おめえ、1年で200万の稼ぎだったら食っていけねえだろ、ばかやろー! どうすんだよ!!」って(笑)。

―すごい、ストレートですね(笑)。なんとなく「小説を書いてます」なんて言ったら「作家先生がやってきた」みたいな扱われ方されたのかなって思ってたんですけど。
いしい:そんなもん、三崎では関係ないもん!

―三崎に住んで祭りに参加するっていうのは、地元にとけ込むという意味でも大きかったんじゃないですか。
いしい:うん、たまたまね、坐古さんっていう祭キチガイが近くに住んでいた(笑)。日の出会館も近くにあるし、木遣り(祭の掛け声、歌)の練習場があったしね。もう、坐古さんからしたら「祭のためにここに引っ越してきたな、おめえ!」って感じだったみたい。

―祭りによって町の人とも関係ができたわけですね。
いしい:鉢洗い(祭りの後の打ち上げ)の時に一緒に飲んだりすると関係も近づきますよね。祭りに参加しているだけで身体は密着しあうわけだし。だから、僕にとって祭りに参加したことは大きいんですよ。それも自分から積極的に参加したわけじゃなく、気がついてたらそうなってた(笑)。でも、それが三崎という町が自然と受け入れてくれたっていう感覚になってるんです。だから、いろんな良い巡り合わせがあって三崎という町に自然と入ることができたんですよね。

Interview & Photo:クワムラハルヨシ

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いしいさんが住んでいた三崎の一軒家

後編ではいしいさんの三崎での生活、三崎の人たちの気質、そして「いしいしんじ祭」についてお話を聞きました。いしいさんの三崎に対するさらに強い気持ちが語られています。


「三崎いしいしんじ祭」

日時:平成25年9月28日(土)&29日(日)
会場:三浦市三崎下町周辺
運営:三崎いしいしんじ祭実行委員会
特設サイト:http://webmagazine.gentosha.co.jp/ishiishinji/

『その場小説』in三崎いしいしんじ祭
第1部 9月28日(16:30~)会場:海南神社
第2部 9月29日(16:00~)会場:三崎下町商店街特設会場
料金:1,000円(書きあがった原稿のコピー1ページ付き)
※各回100名様限定
予約:sonoba@gentosha.co.jp
※件名を「三崎いしいしんじ祭」その場小説予約として、希望日、名前、電話番号、予約人数を明記の上、お申込みください。


いしいしんじの三崎への過剰なアツき想いが新聞になった! 三崎いしいしんじ祭がまるわかり!

いしいしんじ新聞

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