第31回:「鯨幕」城ヶ島大橋

三浦怪談・新編:第31回 「鯨幕」 城ヶ島大橋
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三浦半島の様々な地域や伝承を元にして、怪談を創作している三浦市在住の作家・杉背よいさんによる短編集「三浦怪談」。昨年の2013年10月にKindle電子書籍/iPhone電子書籍アプリとしてリリースされた同書の新編の連載がミサキファンクラブではじまりました。

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第31回:「鯨幕」
城ヶ島大橋


 

朝靄の中を、地面を蹴って走っていた。最初は体全体が痛み、寒気を吸い込んだ肺も苦しかった。ペースが速すぎたら緩め、遅すぎたらアップして自分に合った速度が見つかってからは走ることに体が馴染んできた。最初は重たかった体も、走り続けるうちに軽くなってきた。


運動が大の苦手である私が、何故ジョギングなど始めてしまったのか。自分でもわからなかった。


自信がないならウォーキングにしておけばいいものを、一足とびにジョギングを始めてしまったのだ。しかし思い切って走り始めて本当によかった。人もまばらな朝の町を走るのは気持ちがいいし、体の調子もいい。


特に筋力トレーニングを兼ねて階段を上り、城ケ島大橋を走って渡るのが大好きな朝の日課となった。


あまりすれ違う人もいないのだが、早朝散歩をするおじいさんとは会釈を交わすほどの仲になった。おじいさんは八十代ぐらいだろうか。ゆっくりした足取りで近づいてきて、歩きながらぺこんと頭を下げる。愛想がいいわけではないが、穏やかな人柄が伝わってくる。私もできるだけ笑顔を作って会釈を返した。


毎朝たったそれだけの付き合いだったが、お互いに認識し合っていたと思う。


決して速過ぎないスピードで走りながら、橋の下を見下ろす。朝の光を受けてきらめく海と、下に広がる町が見えた。


「おはよう」


その日は珍しくおじいさんが声に出して挨拶してくれた。おじいさんはこんな声と喋り方だったのか──そう思って何か言葉を返そうと思った時にはおじいさんの姿はなかった。


私とおじいさんがすれ違ったのは、橋の中頃だ。前と後ろを確認するけれど、姿は見えない。そう言えば、おじいさんと顔を合わせるのはいつもこの辺りだったと思い返した。真冬だと言うのにおじいさんは薄着だったけれど、それも思い返すまで気がつかなかった。


考えてみれば、いろいろ不自然な点もある。歩ける距離なのに近所では一度もすれ違わない。両親に特徴を告げても「さあ」と首を傾げるばかり。


私は走りながらぼんやりとおじいさんの住む家を想像していた。木造平屋建てで玄関は引き戸。やはり木でできた古風なバルコニーに洗濯物がはためき、同じ風は「忌中」の紙が貼られた玄関の戸を揺らした。


「ああ、暑い」


そう言って喪服から着替えようとしていた母は、誰の葬儀から帰ったんだったか──。
私も一緒に行って手を合わせたのかどうか。風が吹き、鯨幕がはためく。あのとき祭壇で見た写真はどこの誰?


私にとっておじいさんは風景の一部のようなものだった。
私はただ走り過ぎ、おじいさんも歩いてどこかへ向かうのだと思っていた。どこか、へ。


翌日からも私はジョギングを続けたが、もうおじいさんとすれ違うことはなかった。
あのとき、せめて何か言葉を返せていたらよかったのかもしれない。
私のジョギングはおじいさん一人に会えないだけで途端に孤独なものになったが、これからも毎日続けるつもりでいた。


今日もおじいさんの姿は見えない。
何度か振り返るが、人影すらない。私はそれでも橋の中ほどまで来ると会釈を返した。


城ケ島公園まで足を伸ばせば、早起きの猫には会えるかもしれない。そう思い直して、私は橋を駆け抜けた。


 

【杉背よいプロフィール】
幼少より三浦市在住。2009年より「よいこぐま」名義で怪談を書き始める。三浦半島の伝承に興味を持ち、土地 の特色に影響を受けた怪談・小説を創作している。共著に「てのひら怪談壬辰」(ポプラ社)、「みちのく怪談コンテスト傑作選 2010」(荒蝦夷)。他に児童書「まじかる☆ホロスコープ こちら、天文部キューピッド係!」(角川つばさ文庫)。


◆三浦怪談について◆

「三浦怪談」は、iPhoneアプリやKindle電子書籍でもリリースされています。iPhoneアプリ版では、GPSを使って、怪談のモチーフとなった伝承話の土地へ近づくと通知します。アプリ版「三浦怪談」を元に、お話に出てくる場所を訪れてみるのも楽しいですよ。
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