三浦のひとは、男前、べっぴんが多い。写真をみれば、一目瞭然。男前、べっぴんを作る遺伝子が、この狭い海辺の街めざして、世界じゅうから結集されてきたのでは、とおもうくらい。まあその分、真逆の、外見も中身も「どうしようもねえ」人間も、ぽろぽろ輩出されてしまうわけではあるけれども。
 以前、三崎のひとにきかされた。十代のころは、横浜どころか、横須賀に出るだけでも緊張した、と。ひとこと、ふたこと、口をひらいただけで「あ、てめー三崎だろ」とばれてしまい、「うちかえってシーチキンでもくってな」なんてからかわれたそうだ。
 それくらい三浦の各所は、いまも、それぞれの文化、気風、そして「ことば」を、濃厚に、濃厚すぎるくらいに残している。松輪、金田、小網代は、ただの地名でない。三浦のそれぞれの土地に住んでいるひとの声だ。ほらふきでも、酔っ払いでも、いざとなればひとりひとりが、その土地をしょって立つ気概をもっている。この写真展には、そんなひとたちの顔が集められている。
 二〇〇一年から二〇〇九年まで、三崎の日の出に、一軒家を借りて住んでいた。おおぜいのひとと会い、大切なひとと別れ、いくつかの「ほら話」を出版し、神輿をかつぎ、飲み、飲み、飲み、生きてきたなかでもっとも晴天に恵まれた日々を過ごした。たまに嵐がきた。
 住民票は京都の、左京区役所に移ったいまも、表札は三崎下町、まるいち魚店の二階にかかっている。たまに足をむけると、中華屋のおかみさん、八百屋のおばあさん、パン屋のおねえさん、そして濃厚な、毛むくじゃらの男たちから、
「よう、帰ってたのかよ」
 と声がかかる。
「どこほっつき歩いてんだ、ばーか。そろそろしゃんとしねえと、かあちゃんに逃げられんぞ」
 胸の底から僕は、いまも、三崎の人間だと感じている。三崎という土地は、僕に、一生かけても返しきれない大きなものを、惜しげもなく与えてくれた。遠洋漁業の船が、母港を離れているようなもの。大漁か不漁かわからないが、とにかく漁をすませ、港へ戻って埠頭を歩いていると、「よう、帰ってたのかよ」と声がかかる。
 僕に対してだけでない。三崎の、三浦のひとたちは、「おかえり」「おかえりなさい」といいたくていいたくて、うずうずしている。そういう相手を、待ち焦がれている。
 ほんとうの人間に出会いたければ、三浦に行こう。ほんとうの祭に触れたければ、夏の三崎を訪ねよう。そこには「ただいま」と「おかえり」の遺伝子が溢れ、渦巻いている。
 訪れる誰もを「おかえり」と迎えいれる場所。この土地に住んでいる誰もが、いま、ここにたまたま生きている奇跡を、暮らし、仕事、遊び、酒の席、祭礼、あらゆる場面で、深く噛みしめつつ、男前に笑いとばしている。

小説家 いしいしんじ
三浦の地が、世界のどこにも引けを取らない豊穣なテロワール(地の力)とゲニウス・ロキ(地の霊)を持っていることに、私たちは心から驚くべきだ。三浦の地の力はそこに生きる人びとを息づかせ、同時に、人びとが地の力を体現する。この美しい照応を写真家・有高唯之は見事にカメラで撮らえてみせた。一匹の魚。一掴みの野菜、一粒の麦、一塊の土、そして三浦の人。どうか見て欲しい、三浦の人びとの姿を!
人びとによって輝く土地と海を!

『新潮』編集長 矢野優